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言葉が先か、思考が先か ── 言語と思考の科学、そしてAI
はじめに ── 言葉が変われば、見え方も変わるのか
言葉と「ものの見方」の関係をめぐっては、世界の言語に興味深い例がいくつもあります。虹を「7色」と数える文化もあれば、より少なく数える文化もあります。世界には「右・左」にあたる言い方を持たず、「東・西・南・北」でしか位置を表せない言語もあります。その話者は「あなたの北側の手にコップがある」のように話します。
ここから、ひとつの問いが浮かびます。使う言葉が違えば、見えている世界そのものも違うのでしょうか。
この問いの背後には、認知科学(心のはたらきを研究する分野)と言語学が100年近く争ってきた大きな対立があります。整理すると、論点は二つです。
言語は、私たちの思考を規定している(しばっている)のでしょうか。
それとも言語は生まれつきの本能であり、思考は言語とは独立に存在するのでしょうか。
この問いに最終的な決着はついていません。だからこそ、それぞれの立場が「何を示せて、何を示せていないのか」をみていきたいと思います。
第1章 言語が思考を形づくるのか ── 言語相対論
要点:「言語が思考を完全に決める」という強い主張は、ほぼ否定されました。一方で「言語は思考に偏りを与える」という弱い主張には、限定的な証拠が積み上がっています。
1-1. 「強い説」と「弱い説」を分ける ── 最も誤解されやすい点
「言語が思考を決める」という考えは、二人の研究者の名から「サピア=ウォーフ仮説」と呼ばれます。ただし、この二人が共同でそのような「仮説」を定式化したわけではなく、後年の研究者が彼らの著作にこの名を与えたものです。重要なのは、この仮説に強さの異なる二つのバージョンがあることです。
| 強い説(言語決定論) | 弱い説(言語相対論) | |
|---|---|---|
| 主張 | 言語が思考を決定し、言葉にない概念は考えられない | 言語は思考に影響する。ただし制限はしない |
| たとえ | 言語は思考の檻(おり) | 言語は思考の色めがね |
| 現在の評価 | ほぼ否定された | 条件つきで支持されている |
強い説が退けられた例としてよく挙げられるのが、ダニ族(インドネシア領ニューギニア=西パプアの民族)の研究です。ダニ語は色を表す基本語を二つ──おおよそ「明るく暖かい色(mola)」と「暗く冷たい色(mili)」──しか持ちません。強い説が正しければ、彼らは細かな色を区別して考えられないはずです。しかし実験では、新しい色カテゴリを学習でき、しかも赤や青のような典型的な色(焦点色)ほど学習・記憶されやすかったのです(Heider, 1972; Rosch, 1973)。言葉の有無が色の認知の限界を決めてはいなかったわけです。
ただし、この知見を「決着」と読むのは早計です。のちにRoberson, Davies & Davidoff (2000) が別の民族ベリンモ(パプアニューギニア)で追試したところ、焦点色の優位は再現されませんでした。色の認知が普遍的か、言語に相対的かは、現在も論争が続いています。いずれにせよ、今日「言語相対論」として真剣に議論されているのは、もっぱら弱い説のほうです。
コラム:研究では退けられても、フィクションでは生き続ける
「言語が思考を支配する」という強い説の発想は、科学ではほぼ退けられました。それでも、創作の世界では今なお強力なモチーフとして使われ続けています。ゲーム『メタルギアソリッドV』では、「言語こそが人の思考や民族のアイデンティティを形づくる」という思想が物語の根底に置かれ、ある言語そのものを標的にする兵器が登場します。ジョージ・オーウェルの小説『1984年』には、政府がつくる人工言語「ニュースピーク」が登場します。語彙を計画的に削り、体制に逆らう思考そのものを"考えられなくする"ことを狙います。いずれも、言語決定論を物語の装置として用いた例です。発想として強く、どこか怖いからこそ、人を惹きつけるのでしょう。(※あくまで創作の設定であり、科学的に裏づけられた話ではありません。)
1-2. 弱い説を支える三つの研究
空間 ── 「東西南北」で語る言語(Levinson, 1997):オーストラリア先住民の言語グーグ・イミディル語(右・左にあたる相対的な語を持たず、空間を常に東西南北で記述します)の話者と、相対座標を使うオランダ語の話者を比べました。方角で語る人々は、言語課題だけでなく言葉を使わない記憶課題でも、絶対的な方角を基準にものの位置を符号化していました。これに対しLi & Gleitman (2002) は、英語話者でも目印の豊富な環境でテストすれば絶対座標的な解を選ぶことを示し、差を生むのは言語ではなく環境や文脈だと反論しました(論文名 "Turning the tables")。Levinsonらはさらに再反論しており("Returning the tables", 2002)、この応酬は言語相対論論争の白眉として知られています。
色 ── ロシア語の二つの「青」(Winawer et al., 2007):ロシア語は明るい青(goluboy)と暗い青(siniy)を語彙のうえで義務的に区別し、英語の"blue"のように両者をまとめる基本語を持ちません。ロシア語話者は、二つの青が「ロシア語では別の名前になる」組み合わせのとき、その違いをより速く見分けました(英語話者にはこの差が出ません)。さらに興味深いのは、頭の中で言葉を使えなくする別の作業を同時にさせると、この「速さの差」が消えてしまったことです。つまり、色を見分けているまさにその瞬間に、頭の中の「言葉」がこっそり手伝っているらしい、ということです。後年の追試(Martinovic, Paramei & MacInnes, 2020)は、青と青の境界では速さの優位が再現されないことを示しましたが、緑との境界では効果が見られており、効果が全否定されたわけではありません。
数 ── 数詞を持たない言語(Gordon, 2004 → Frank et al., 2008):アマゾンのピダハン語には、正確な数を表す語彙がありません。当初Gordon (2004) は「3を超えると正確にこなせない」と報告しました。ただし正確には、3より上では一対一の正確な対応はできなくなる一方、量に比例して誤差が増える「おおまかな見積もり(近似)」は働いていました。続くFrankら (2008) の再検討では、目の前のものを一対一で対応させる課題なら大きな数でも完璧にこなせ、失敗するのは記憶をはさむ課題に限られました。ここから導かれた解釈は示唆的です。数詞は思考の根底にある数の表象を変えるのではなく、「大きな集合の個数を、時間や場所を越えて追いかけるための道具」だと考えられます。いわば、正確な数を扱う言語は人類普遍の本能ではなく、文化的な発明(認知テクノロジー)だ、というわけです。
空間・色・数のいずれの領域でも、「言語が思考に影響する」証拠は積み上がっています。しかし、そのどれも「言語が思考を決定する」ことを示してはいません。支持されているのは、あくまで「言語は、特定の認知処理に、特定の条件のもとで影響する」という限定的な主張です。
第2章 言語は生まれつきの本能か ── 生得説
要点:「言語の能力は人間に生得的に備わっており、思考は言語に縛られない」という、相対論と正反対の立場です。ただし「生得的に何があるのか」、その中身は特定できていません。
ノーム・チョムスキーは、子どもが受け取る言語入力は不完全で乏しいのに、急速に複雑な文法を習得できる点に注目しました。これは人類に共通する普遍文法(Universal Grammar)が生得的に備わっているからだ、と論じます。スティーブン・ピンカーは『言語を生みだす本能』(1994) で、言語は文化的な発明ではなく、「クモが巣を張るのと同じ意味で人は話し方を知っている」と述べ、言語を生物学的な本能と位置づけました。ただしピンカーは、チョムスキーと異なり、言語能力を自然選択による進化の産物として説明できると考えます(Pinker & Bloom, 1990)。
この陣営の思考観を支えるのが、ジェリー・フォーダーの思考言語仮説(1975)です。思考は、日本語や英語といった自然言語そのものでは行われず、より基底的な心的表象の体系──しばしばメンタリーズ(mentalese)と呼ばれる──で行われます。この見方に立てば、自然言語は思考を外に出すための手段にすぎず、話す言語が違っても根底の思考は共有されうることになります。
この立場も無傷ではありません。Sampson (2005) は、生得論者が主張してきた「言語普遍」の多くは反例の検証に耐えないと批判しました。Evans & Levinson (2009) は、世界の言語の多様性を踏まえ、すべての言語に共通する実質的な普遍文法は神話だと論じました。用法基盤アプローチ(Tomasello, 2003ほか)は、文法は言語専用の生得的装置ではなく、一般的な学習能力と社会的・コミュニケーション的な相互作用から後天的に創発する、と主張します。ピダハン語をめぐっては、Everett (2005) が再帰の欠如を主張して普遍文法への反例だとし、Nevins, Pesetsky & Rodrigues (2009) が反論、Everettが再反論しており、決着はついていません。提唱者であるピンカー自身も、後年のインタビューで、普遍文法仮説は「精密に定式化されず、言語の多様性を示すデータに対して実証的に検証されてこなかった」と率直に述べています。
第3章 言語は思考の「道具」にすぎないのか ── 導管説と脳科学
要点:言語は、すでにある思考を運ぶ「パイプ」にすぎない、という立場です。脳科学からは「言語を失っても思考は残る」という強い証拠が加わりました。
リラ・グレイトマンとアンナ・パパフラゴウ(Gleitman & Papafragou, 2013)は、言語と思考をめぐる膨大な実証研究を見渡し、言語は、すでに頭の中にある思考を、人に伝えられる形に変換して運ぶ「導管(conduit)」だという伝統的な見方を擁護しました。彼女たちの結論は、「言語相対論の実証的な支持は弱く、言語が持つのは処理レベルの一時的な効果であって、根底にある概念そのものを書き換えるものではない」というものです。
近年、脳科学からこの問いに強い証拠が加わりました。Fedorenko, Piantadosi & Gibson (2024) は『Nature』誌の展望論文で、言語は思考の前提ではなく、主にコミュニケーションのための道具であると論じました。根拠の中心は失語症の研究です。脳卒中などで脳の言語ネットワークが広く損傷し、語や文法をうまく扱えなくなった人でも、数学(代数)の問題を解け、形式論理にもとづいて推論でき、因果関係を読み解く推論ができることが示されています。著者らは「これまでに検証されたかぎり、すべての形態の思考が言語なしで可能である」と述べています。ただし著者ら自身が「将来、言語領域が関与する思考課題が見つかる可能性は残る」と慎重に留保している点は、正確に押さえておきたいところです。
これは「言語が思考にいっさい影響しない」という意味ではありません。第1章で見た「認知テクノロジー」としての言語の役割とは矛盾しません。言語は思考の「前提」ではないが、思考を助ける「道具」ではある、という整理になります。
第4章 ここまでの整理 ── 問いはどう変わったか
| 論点 | 現在の評価 |
|---|---|
| 強い言語決定論(言語が思考の限界を決める) | 退けられた |
| 弱い言語相対論(言語が特定の認知に影響する) | 限定的に支持。ただし効果は条件依存で、再現性の論争も続く |
| 言語の生得的な基盤(普遍文法・言語本能) | 直観は強力だが、その内実は特定できていない |
| 言語なしの思考 | どうやら可能らしい(失語症研究) |
ここから見えてくる大きな変化があります。問いは「言語は思考を規定するか、しないか」という二択から、「言語は、どの認知過程に、どの程度、どんな条件で影響するのか」という、より細かく、実証可能な問いへと進化しました。これは科学が健全に進むときの、お手本のような展開です。大きすぎる問いが、答えられる大きさの問いへと分解されていくこと、それ自体が前進なのです。
第5章 そしてAI(LLM)── 言葉だけから生まれた知性
ここまでの100年の論争は、いずれも「言語を覚える前から、思考・知覚・身体を持っている人間」を前提にしていました。LLMは、この前提を反転させます。身体も、目や耳のような知覚も持たず、「テキスト=言語の形」だけから学習したにもかかわらず、推論らしきことをこなしています。人間で100年争われてきた問いの、極端な思考実験が現実に動いている、ともいえます。この点をめぐって、すでに論文どうしの真っ向からの対立があります。
否定側:Bender & Koller (2020) ──「形だけでは意味は学べない」:有名な「タコのテスト(octopus test)」という思考実験があります。二人の人間が無人島に取り残され、海底ケーブルを通じて通信しています。深海の賢いタコがそのケーブルを盗み聞きし、信号のパターンを完璧に学びます。やがてタコは、片方になりすまして「それらしい返事」を返せるようになります。しかしタコは、地上の世界を一度も経験していません。彼らの主張は「形(form)だけを学ぶ系は、原理的に意味(meaning)を学べない」というものです。意味には、外界とのつながり(接地:grounding)が必要だとします。タコは天気の話のような社交的な会話であれば相手を欺けてしまうものの、道具の作り方のように、外界への接地が要る場面で初めて破綻する、という段階的な論証になっている点が興味深いところです。
肯定側:Piantadosi & Hill (2022) ──「意味は"関係"から生まれうる」:彼らは、意味の本質は外界への参照だけではなく、概念どうしの関係の構造(概念役割)にもあるとする意味論(哲学者ネッド・ブロックらの「概念役割意味論」)に立ちます。「月曜」の意味は、火曜・週末・仕事…との関係の網の目の中にあります。実物を指させなくても、関係さえあれば意味は成り立ちます。この見方に立てば、テキストの中での言葉の使われ方(分布)からでも、意味の中核は捉えられることになります。ただし彼らも慎重で、「LLMが人間の概念を完全に捉える」とは主張していません。
ここで第3章を思い返してみると、人間では「言語なしの思考」が可能だと分かってきました。ではその逆はどうでしょうか。思考の基盤(身体・知覚)を持たない「言語」から、思考は立ち上がるのでしょうか。これこそ、LLMが私たちに突きつけている問いであり、まだ誰も決定的な答えを持っていません。
もう一つ、言語相対論の文脈で開かれた問いがあります。多言語で学習したLLMは、問いかける言語(プロンプト)によって振る舞いを変えることが知られ始めています。もしそうなら、それは「言語が処理に影響する」という弱い相対論のLLM版なのか、それとも単なる学習データの偏りなのか。人間では切り分けが難しかった「言語の効果」を、データや構造を統制できる人工システムで検証できる──LLMは言語相対論の新しい実験場にもなりつつあります。
おわりに
「言葉が先か、思考が先か」という問いは、決着がつかないまま100年近く科学を駆動してきました。強すぎる主張は反証され、問いはより精密になり、失語症研究やLLMという新しい証拠源が、いまも論争を更新し続けています。
私たちは日々、言語を扱うAIを作り、使っています。そのとき──「このシステムは、何を理解していて、何を理解していないのか。」この問いから逃げないために。人間の言語と思考について科学が何を明らかにし、何をまだ明らかにできていないかを知っておくことは、遠回りに見えて、実は最も確かな近道だと思います。
参考文献
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